2017/10/24(火)曇・25(水)雨

 

こんにちは。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。ぼくはゴミ出しミッションに失敗しました、−50点。ゴミ出しは却って雨の日の方が成功率が高いことがわかってきました。それをいかに活かすかというのはまぁ天に任せるしかないでしょう。

 

さて、天気ということで久々に晴れ間があり、精神が良くなったので社交をしました。

大学にはほとんど関係が存在しませんが、職場での関係は全体的に良好です。このように食事イベントが発生したり、しなかったりします。他にもお土産や差し入れがもらえたりします。これは好感度を上げておくことで発生するイベントです。この前はお客さんからGODIVAのクッキーをもらいました。ここから話が広がることはありません。終。

 

次の話。

ぼくが昼食を取らずに読書をしていることはみなさんご存知の通りですが、(本当にそうか?)今日も本を読みました。本の感想でも書くか、と思っていたのですが、前回延滞した関係で今日は本を借りることができないことがわかりました。−100点。

少し読んだ感じでは、賢い人同士の対話でした。ぼくはそういう本がとても好みです。賢い人が好きなので。知というのはいいものです。ではなぜぼくは真面目に受験をやらなかったのでしょうか?ぼくだって最高学府に行きたいが…。なぜ…。

はい。知の話はやめにしましょう。ちなみに最高学府という単語で東京大学を指すのは誤用なのでぼくも一応最高学府に通っているということになります。本当か?院が最高学府なのでは?という疑問が湧いて来ましたが、おそらく「学ぶとは?」みたいな疑問を解決することに収斂していく予感がするので今回は無視しましょう。そのうち調べます。

 

困ったな、特に書くことがない。そもそもそんなに密度の高い毎日を送っているわけでもなく、今日はただ講義に出席してバイトをこなしているだけの日であったということです。

こうして振り返るとクズでは?という気持ちになってきますが…。

 

 

さて、ここまで書いたところで寝落ちし、投稿することができなかったのでまとめて2日分書くことにします。ちなみに机に突っ伏していたはずですが、なぜか朝にはベッドの上でした。人体の不思議。人体の不思議展いってみたかったですね。もう無理なんでしょうか。許可が云々みたいな話だった気がするので不可能ではない気もするんですが。そんなことはどうでもよく、次の日です。

 

今日(25日)の大きなイベントとしてはTOEICがありました。英語は中学の頃からさっぱり伸びておらず、高校では単位も怪しいみたいな散々な状態です。他の語学もそうですが、いまいち乗り気になることができないのはなぜなんでしょうね。コミュニケーションが嫌いだからかもしれない。

そういえば某氏にも「マウンティングできないからやりたくないとか、まさかね」みたいなことを言われましたけど、まぁそういう側面もあるのかもしれませんね。友人ズが基本的に賢いのでそこに突っ込んでいくためにはこちらもそれなりに武装しなくてはならないのですが、ぼくは基本の賢さが低いので正攻法ではとても太刀打ちできず、方向性をアレして対抗しているというのはあると思います。人間は卑怯なのでなんとかマウンティングするために頑張ってしまう、そういう性質があります。

さて、そのようにしていると割となんとかなってしまうもので、なんとかなると人間は調子にのるのでたまには現実を見せてしばいてやる必要があります。はい、TOEICですね。やっと話が繋がった。このようにいい感じに話が進むこともありますが、運です。これを恒常的にやれるようになりたいですね。

 とにかくそのようにして現実にしばかれました。感触としてはつらい感じだったので勉強しなきゃならない気持ちになりました。これを維持しなくてはいけないのですが、維持できるんなら既に英語ペラペラになっているというアレですね。やっていきましょう。

 

次の話題です。

買いました。衝動です。給料が入った日に目についたので買ってしまった。そのようにして人は貧乏になっていきます。悲しいですね。

さて、試運転がてらカーペットに使用したところ、尋常じゃないほどの埃が出てきたので試運転から本格掃除に移行しました。夜なのに掃除機をかけてしまって隣人には申し訳なく思っています。しかし、一度汚れを可視化してしまうと堪え難いので許してください。この作用は人間社会全体に言えることでもあるので人は鈍感な方が幾分マシであるとも言えます。 人間社会は少し大きくなりすぎたので一度掃除してやるしかないかもしれません。社会の肥大化で密度が上がり、パーソナルスペースが侵されるということですね。そのようになってしまうと当然敏感にならざるを得ないということです。今、すごく雑なことを言いました。パーソナルスペースはこのように運用していい概念なのか全くわからずに言っています。社会のことは社会学をやっている人に聞いてください。ぼくは文学部です。

 

文学部が出たので文学の話をしようかと思ったんですが、最近文学を全く読んでいないのでできる話がありませんでした。そもそも文学の指し示す範疇がわからないですね。文学とは…一体…?結局こういう話になってしまうのが良くないところだというのはわかってはいますが治る予定はありません。

さて文学の範囲を理解していないのでこれが文学なのかはわかりませんが、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の新刊が出ましたね。6月くらいに。なぜ今その話をするのかというとその事実を知ったのが一昨日(23日)だったからです。さすがに終わった話だと思っていたし、読んだ感想としても終わった話だったなという感じなのでそのような感じです。詳しくは読んでください。これです。

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アフィろうかと思ったんですが、よくわからない上にツイートの形式は崩れるわ、消そうとしたらHTMLいじる羽目になるわと最悪だったのでもうしません。直リンでいきます。やはり欲はダメですね。ブッダの教えに従え。というかそもそもみなさん買わないでしょうし、そんなことはどうでもよいですね。

 

話をズラしていきます。入間人間さんの作品にはかなり青春を捧げてきたのでぼくは思い入れがありますが、みなさんは別にそんなことないんだろうなとか、こうやって全く趣味も合わないのに付き合ってもらっちゃって感謝しないといけないなという気分なんですが、それは死ぬ夢を見たからです。死ぬ夢を見ると生きていることに対する感謝の念がアレします。よし、ズレた。

死ぬ夢ですが、既に大半の内容は忘れました。天皇陛下が出てきたのはわかっています。極右っていうか日本兵のコスプレマンに殺されたのもわかっています。一体何をしでかしたんでしょうか?おちょくったりしたのかな。

夢を忘れないために夢日記をつければよいという考えは中学生で既に経験し、つけると確実に悪夢の割合が増えていくというわかりを得たのでもうやめてしまいました。加えて、夢解釈もやり込んでいくとだんだんと夢の内容も象徴性を帯びたものばかりになっていくので記憶の整理という説はやはり説得力があるなと思います。象徴的な夢、結構面白いのでみなさんも一度やってみるといいと思います。ただし精神は悪化する。象徴夢といえば、キリスト教において夢がいかなる意味合いを持つのかみたいな講義も撮っていたんですが、長くなるので触れるのはやめます。

さてもうなんの話をしたいのかわからなくなってしまいました。夢と同様、日常もすぐに忘れていってしまうことばかりです。それに少しでも抗うために日記をつけるんだよ、幸いこっちはまだ悪影響もないし。こういうオチで構わないでしょうか。いいな、よし。

 

おわり。