2017/10/16(月)雨

 

こんにちは。

今回は特段「こんにちは」について書くことはありません。というか基本的にそんな挨拶をいちいち気にしている人いないでしょう。じゃあ今までのエントリでなぜ触れたかというとまぁ気になることもあるからです。人はそうやって割と適当に生きている。

 

 

はい。

日曜日に『怖い絵展』を観てきました。

『怖い絵展』is何という疑問については各自ググってください。何かわからなくても良いです。特に問題ありません。今回問題となっているのはツイートの埋め込みがうまくいっているかどうかです。展と関係ないですね。話を戻します。

なぜ日曜日に行ったにも関わらず日記を書かなかったかといえば、展の後、急遽実家に泊まることになったのでパソコンが手元になかったからです。ついでにタブレットもなかったので完全に手持ち無沙汰で妹たちと5年ぶりぐらいにDSで遊びました。そして勢い余って3DSを買ってしまった。こういうところが本当に良くない。もっと慎重に生きたいものです。適当をやめろ。

 

展の感想ですが、このような感じです。

相変わらず何をいっているんだという感じですが、とにかく満足する内容でした。特に今回のポスターにも使われている『レディ・ジェーン・グレイの処刑』には圧倒されました。ジェーン・グレイが誰かというのは世界史をやってきたみなさんは当然ご存知だと思うので割愛します。なぜ処刑されてしまうのかについても世界史をやってきた(以下同文)。

さて問題となるのは世界史をやってきていないみなさんで、「レディ・ジェーン・グレイって誰やねん」という状態でこの絵を100%楽しめるのかというとどうなの?と思ってしまいます。そもそも100%楽しむとは…?というモードに突入しそうですが、今回はその手の気持ちはスルーしていく方針です。世界史を別にやってきていないけどジェーン・グレイくらいは常識でしょ、という方もいるかもしれない。そうだったらごめん、ぼくは世界史をやっていなかったら確実に知ることのなかった人物です。まぁとにかくこの辺りの感覚が「コンテクストが10割」に結びつくわけです。教授も「聖書とギリシャローマ神話を知らないと西洋絵画は半分もわからない」といっていました。世俗画ならコンテクスト不明だしわかるだろという考えもあるかもしれませんが、世俗画もある種宗教画に対するアンチテーゼという大きなメタ・コンテクストに乗っかっているのでは?という気がします。技法としても色か線かという問題があったり、現実的な正しさか絵画的な美しさかという問題があったりとにかく芸術学は面白い。ただし将来に活かすのが非常に難しく、親とも「将来どうするの?」「わからない、働くビジョンがまるで見えない…」「そう思う」などの会話を交わすハメになるのであまりがっつりやるのはお勧めしません。ぼくはもう戻れないところまで来てしまった。

 そろそろ何が言いたいのかわからなくなってきました。やはり感想は即座に書いておかないと忘れてしまうことがわかる。 確実に言えることは良かったということです。ぜひ観に行ってくださいね。上野の森美術館です。クソほど混んでいるので早めにいくのがいいんじゃないでしょうか、ぼくは雨の中30分待ちました。寒かったです。展の話は終了。

 

 

最近考えていることの話。「近代化」は「現実教」なんじゃないかということを考えていて、人間には古典的な宗教があったほうが良いのでは?という気持ちになっています。あったほうが良いというかそうでなければ救われない人も存在するのではないかと思います。人が救われたほうが良いのかについては別問題。

現実教徒の恐ろしい部分ですが、現実の相対化を頑なに拒むあたりにあると思っていて、異界の存在を許さないんですよね。「この一生だけが全て」という感覚の絶対視がポイントになってくるのかなと思っています。自然科学との関連なども考慮しながらもう少し詰めて考えていきたいテーマです。いい文献があったら教えてください。なんだかクソ長くなりそうなので考えの話はここまでにします。そもそもぼやっと考えているだけなので文章に起こそうとすると冗長になってしまって困ったものです。またいつかもっと纏まったら書きたいと思います。纏まらなくても書くのかもしれません。わからない。何も…。人は…。

 

 

おわり。

 

2017/10/14(土)雨ときどき曇

 

こんにちは。

土曜日は寝て起きてアニメを見ると終了します。つらいですね。休日を楽しみたい気持ちは強いのですが、如何せん体力が底なので寝る他ない。週5勤務でこうなってしまうので労働に向いていないことがわかります。将来は…一体…。

はい。今日見たアニメとしては『キルミーベイベー』『劇場版 けいおん!』『あの夏で待ってる』です。割と観ました。キルミーが今でも観られるというのは素晴らしいことです。皆さんも観ましょう。『シャブミーベイベー』の制作、期待してます。

 

 

さて本題です。いい加減、本題とは何かわかりましたか?ぼくにはまだわかりません。世の中わからないことだらけです。まぁそんなことはどうでもよく、どうしても書かなくてはいけない気分になったので書いています。睡魔は未だ来ず。そういうわけで寝る前の話です。

 

ぼくは音楽を流して床に就くことが多く、基本的にはボーカロイドのメドレーやアニメソング・BGMのメドレーを聞くのですが、最近はそれらをピアノアレンジしたものをよく聞いています。そうして歌詞を失ってみて改めて気付くのは、感情は言葉に先立つものなのだなということです。

ぼくたちが言葉を紡ぐ時にはすでに感情は終わってしまっていて、残された微かなものとその記憶を頼りにして紡いでいくしかないのではないかと思います。あるいは感情が最も高まるのは言葉にしてしまう前の段階で、一度言葉にしてしまえばあとはしぼんでいくだけのような、そういう感覚があります。言葉によって共有できるのはそこにあったはずの感情で、そうであるからこそ生まれる儚さのようなものもあって、それはそれとして当然価値があるものなのですが、そこにはある種の距離感が必然的に生まれてしまう。そして、その距離が限りなくゼロであるから非言語的な表現は心震わせるのかなと思います。。それは楽器に限ったことではなくて、例えば人の慟哭が胸を打つのはそこには感情が今まさにそこにあることがわかるから、というような気がしています。それを言葉にして共有しようとすれば、終わってしまったものを、過ぎ去ってしまったものを互いに見つめ合うことしかできないけれど、言語を介さないことで現にそこにある感情に気づくことができるのでしょう。だから多分、言葉を介するか否かでそこに生じる共感は変わってきてしまう。言葉にはそれが指し示す範囲があって、言葉に対して共感するのはその範囲のぶんだけズレが出てくるのではないかなという気がします。それが悪いことであるというつもりは全くないです。しかしそれはやはり儚さや寂しさを伴うのかなと思います。これもまた語に縛られてしまっているのかもしれませんが。

他人の感情は自身の感情と呼応するものだけれど、その間に言葉が挟まると冷めてしまうんでしょうね。そこにある感情の熱量を全て伝えるためには言葉は枷になってしまう。感情はひどく脆く、次の瞬間にはわからなくなってしまうようなそういう刹那的なものだからこそ、その残滓を繋ぎ止めるのもまた言葉の役割なんでしょう。言葉は枷であり入れ物であるからこそ感情の瞬間性を克服し、永遠へと向かっていくものになるということです。そして、そうであるからこそぼくらは延々と詩を書き続けるわけです。その思いを記すために。わかったか?わかったら人のポエムを笑うな。いいな。絶対だぞ。

 

 

どうしても寝る前に書きたくなったので書きました。朝起きるとどうせ忘れているので。ぼくは基本的に鳥頭です。

書き足し書き足しでやっているので文章がかなり支離滅裂かもしれませんが、要するにピアノアレンジはいいなぁエモいなぁと言っているだけです。

 

おわり。

 

2017/10/12(木)曇のち雨

 

こんにちは。

 

さっそくですが、毎度「こんにちは」といって始めているものの、夜中に書かれた文章のスタートが「こんにちは」なのは不適切なのでは?という説があり、「こんばんは」に変えるべきかどうかなどの悩みがあります。とはいえ芸能界では最初の挨拶は時間帯に関わらず「おはようございます」であるようだし、なんだっていいのではないかという考え方もあります。ちなみにうちの職場もただのスーパーのくせに挨拶は「おはようございます」です。なぜか?辞書で引いてもわからないことはインターネットで調べろと教わって育ったのでそのようにします。

調べました。歌舞伎がルーツらしい。勤務時間がどうこう。詳しいことは各自調べてください。ぼくは納得しました。音大のスライドも見つかったのですが、出来が微妙だったのでシェアするのはやめておきます。作った人がかわいそうなので。まぁググれば出る。とにかく勤務時間がばらけている職場において時間帯を問わず「おはようごさいます」を使う意味はあったという事です。

正直なところ、意味なんていうものはなんでも良く、ルールがあるなら従いましょう。社会に迎合するとはそういうことです。「無用に事を荒立てると面白い」や「治安が悪いとピリッとする」などの気持ちはしまっておくのが吉です。人生に影響のない範囲で遊びましょう。

 

 

ここからが日記です。

起床チャレンジは高確率で成功するようになりました。Apple Watchがかなり強い。次の課題としては二度寝があり、最初の起床でカフェインの摂取に成功すればまったく問題ないのですが、それをし損ねると全てが終わる。終わったのが今日です。1限に必修科目を入れるのはまずいことがわかる。さてどうするかというと、もう気合いしかないのでは…。アラームもかけてるし、カフェインさえ飲めばいいんだし…。(現段階ではカフェイン錠抜きの健全な生活を送ることは課題ではありません。しばらく無理です。)はい。気合を入れてやっていきましょう。 

 

某人からチョコレートが届きました。GODIVAです。「入院等々のお礼に」ということですが、気後れするので今度からはコアラのマーチでお願いしますという感じ。カントリーマアムでも可です。宜しくお願いします。

さてチョコレートですが、高いチョコレートは本当にチョコレートとして美味いのか?という問題があります。高いものほど複雑な味がしますが、それはチョコレートとしての美味さではないのでは?という話です。単純にチョコレートとして一番美味いのはチョコレート効果の86%であると思います。95%は食べられる土ですね、あれはちょっと…。

季節に応じて各種フレーバーのチョコレートが売り出されていますが、格安のものと比べてしまえば、確かにGODIVAは高いレベルで味が纏まっていると思います。そんな事を言いながらGODIVAを食べていたら、やっぱり普通に美味いで良いのではという気がしてきました。やっぱり高いだけあるよGODIVA。ほんとはブランドというのは高い事それ自体に意味があり〜とかいう話をしようかと思っていたんですが、人は美味さの前には無力であることがわかります。そもそも、ぼくは貰い物でしかチョコレートを食べることがないのでぼくのチョコレート評になんら意味があるとは思えません。結論としてはGODIVAは美味いのでじゃんじゃん持ってきてください。ペルレアモンドとモザイクマカダミアが好きです。宜しくお願いします。

 

掃除機が欲しい話。そのままです。掃除機が欲しい。我が家には大昔に懸賞か何かで手に入れたR2−D2型のロボット掃除機がありますが、どうやらバッテリーが寿命になってしまたようでもはや3秒程度しか動かないゴミに成り下がってしまいました。よって現在我が家は掃除機をかけることができずにいるのでハチャメチャに汚いです。人を呼ぶ前に掃除機を買わなくてはならない。某人の退院祝いもしたいので早急になんとかしなくてはという感じです。誰かルンバ君をくれ。10万円くれるでも可。宜しくお願いします。

 

今日はなんだか山ほど宜しくお願いしてる。まぁそういう日もある。

 

 

おわり。